2014/06/09

REFUSEという空間・組織をスタートさせてから、
15年という歳月が過ぎた。
自分の人生に照らし合せると、
15年間という時間は3分の1よりも少し少ない。
まー、15周年とか、ちょっと中途半端な気がする、俺。

6月5日。
REFUSEの正式なオープン日は6月9日だが、
1999年に店としてスタートさせる時、
プレオープンとして開けた日がこの日だ。
理由は確か、何だっけか?
その年の6月9日近辺の週末が5日だったから、
仲間が集まり易いって事で、そうなったんだったと思う。
1999年の6月5日から15年間の歳月が流れて、
2014年の6月5日になった瞬間に、
携帯電話が鳴り一通の電子メールが届いた。

ここのところ暫くは、
REFUSE15周年の件で色々な人から連絡を貰ったり、
祝いと労いの言葉を掛けて頂いたりしていたが、
6月5日になった瞬間にメールをくれたソイツは、
1999年の6月5日にREFUSEをオープンさせる為、
一緒に様々な努力してくれて、
それ以前は一緒に単車で旅に出たり、
バンドを一緒にやったりした兄弟分の一人だった。
あれだけ長い時間と濃密な付き合いがあっても、
お互いに進む道を決めて歩を始めれば、
自然と会う機会も連絡を取り合う事も、
一年という時間の単位の中では
数えるのに片手で足りてしまう程でしかなくなってしまう。
それでも、記憶ってのは不思議なもんで、
一緒に努力した事や場所や時というのは覚えているものだ。

メールの送信者がソイツである事で、
15年前のあの日を思い出しながら感慨深い気分になり、
嬉しさと少しの照れくささを感じながら、
タイトルの無いそのメールの本文を読む、俺。

「仕事場の女子大生から

  ラブレター貰っちゃったよ〜。

    どーしよぉ〜デヘヘヘヘヘッ」

・・・・・・・・・・・・・死ねっ!!
・・・本当に死なれたら嫌だけど、本気で死ねっ!!
・・・少しでも感激した俺に謝罪してから死ねっ!!


地獄に堕ちて散々拷問受けた挙げ句に
輪廻転生でゴキブリに生まれ変わった瞬間にバルサン浴びて
また地獄に堕ちて針の筵ごと釜茹でにされて
賽の河原で鬼に金棒でケツバット100万発喰らって
輪廻転生でサナダムシに生まれ変わって寄生してたら
宿主が脱腸になって手術で駆除されて
地獄に堕ちて閻魔に抜かれた舌でタン塩厚切り定食で
煮え湯を飲まされて股裂きの刑でさけるチーズみてぇになって
輪廻転生したらマンボウになってた瞬間に
巨大タンカーのスクリューに巻き込まれて死ねっ!!

ちくしょーマジで、家燃やしてやろうかアノヤロー。
だいたいオメェは、カミサんと子供が居て家も買って
マイホームパパじゃねーか。
それなのに女子大生にラブレター貰ったとか
そんなんで喜んで自慢してきやがって、
しかも、REFUSEの15周年とかすっかり忘れてやがった。
そりゃー15周年なんて、ちょっと中途半端な気がするよ!!
派手に祝うって程でも無いって俺自身も思っちゃいるけど、
それでも15年間って言ったらそこそこ頑張っとるわい。
もう、どーでもいいわ、テメェみたいなのわ!!!

どーでもいいとか・・・・・、
思うんだけど・・・・・・・、
本気でどーでもいい・・・・・んだけど、


何故か・・・・・・ちょっと悔しい、俺。

そう、そうなんだ。考えてみよう、俺。
15年前、一緒に同じ場所に立ってた筈なのに、
何故、アイツは家も家庭も在って、
職場で女子大生からラブレター貰ってるのに、
何故、俺は家も家庭も無くて、
男だらけの職場で給料すら貰ってないのか・・・・・・・。


よーするにだ、
求めて積み上げてきた物の違いってヤツなんだろう。
この15年間でアイツは至極真っ当で、
一般的な幸せってのを求めてその為に積み上げてきた。
それに対して俺が求めて積み上げてきたのは、
この15年間、何だったんだろうか?
何でREFUSEって空間と組織を
15年もやってきたんだろうか?

ガキの頃の今でも覚えてる最初に思った、
将来のなりたい自分ってヤツは、
「絵を描きながら旅してる人」だった。
現実とか、世界ってのがまだカオスにしか見えてない頃、
自分が思い描いた将来の夢。
周りの友達は、仮面ライダーだとかスーパーヒーロだの
スポーツ選手だのそんな事を言ってた様な気がする。
だんだんと世の中ってもんが理解出来てきて、
幾つもの現実に直面しながら皆の将来の夢ってのが変化しだして、
進学だとか一般的な職業に就く事が
目標とか夢になりだすのが当たり前の15歳の頃には、
夢とか将来の目標なんかよりも、
働いて生活していく為の金を稼いで
何処かに行く事しか考えれない様な状況になってた、俺。
周りの奴等よりも早く働き出す事に
不満は無かったと言えば嘘になる。
マトモな家庭やフツーの環境で高校生やって
専門学校だの大学だのに進める奴等が羨ましい。
そんな事を思ってたのも確かだ。

でも、16歳の時には将来の夢なんかよりも、
今でも変わらないままの、
どんな生き方をしたいかだけは決まってて、
働いて金を稼いで少ない時間で好きな事をやって
単車で旅するのが楽しかったのも事実だし、
その単車が原因で18歳の終わりには、
描いてた夢も希望も無くなったのも事実だ。
そうして、お決まりのドロップアウトが加速して、
チンピラ崩れでどうしょうもない事を繰り返して、
自分の勝手で人様を傷付けたり、
マトモになろうと思って失敗して、
また人様に迷惑を掛けたりしながら、
見付けた自分の求めてるモノってのが、
REFUSEだった。

何度も言ってるし、何度も書いてる事だが、
創り手になりたいと思ってREFUSEをスタートさせた訳じゃない。
16歳の時に決めた自分の生き方をする為に
REFUSEって空間が必要だったからってだけの理由だ。
そこからどうやってREFUSEを存続させて
REFUSEで何をしていきたいかって中で、
物創りがあってブランドをスタートさせて15年間が経った。

ブランドを辞めたいって思った事や、
会社を無くしたいって事は何度もあったし、
創り手・クリエイターとしての自分や、
表現者としての自分を否定する事は今でも何度もある。
でも、REFUSEをヤメたいと思った事は、
15年間の歴史の中で一度しかない。

一年程前、FUCKTORYを改装して
ゴールデンウィークが終わった5月7日。
その日に初めてREFUSEをヤメたいと思った。

ガキの頃から、
無理とか無茶とか無謀とか言われる類いの事ばかり、
むしろソレを好んで言ったりやったりしてた俺は、
周りからすれば、いつも突拍子も無い事を突然始める
アホな奴でしかなかったんだろうし、
今でもそう見られる事が多いのも解っているが、
16歳になった頃から、そんな突拍子も無い無謀な遊びや計画に
「ったく、高蝶はしょーがねーなー」
って言いながら付き合ってくれる奴等が居た。
ソイツ等が今でも兄弟分と呼べる仲間だ。
1999年の6月にREFUSEをオープンさせる時、
俺のアホみたいな生き方と途方も無い理想に付き合って、
手助けしてくれた兄弟分達。

2013年5月7日。その兄弟分の一人が死んだ。
今までにも、そんな出来事は色々あった。
喧嘩や薬や事故や自殺。
死んだ仲間や友達は何人もいるが、
その全てに死んだ事が理解出来る原因があった。
死に対して理解も納得も、
生きてる奴には本当の意味では有りはしないが、
理解しようとする事で自分を納得させる事は出来たし、
人が死ぬなんて事は日常の中で当然の事だってのも解ってる。

原因不明の突然死。
それが兄弟分の死因として告げられて、
何を理解して納得すればいいのか俺には不可能だった。

「最近のREFUSEはさ、
仕事場って感じで居心地が悪いから行き難いんだよね。
昔みたいに集まり易くしてくれよ」

ソイツと最後に話した時に言われた事で、
REFUSEを始めた時に描いてた、
大事な基本が疎かになってると思った俺は、
FUCKTORYを改装して人が集まれる空間を創ろうと思った。
改装が終わってゴールデンウィークのイベントも無事に終了し、
兄弟分達を集めて久しぶりに・・・・・
そう思ってた矢先の事だった。

「じゃあ、近いうちにまた会おうな」
最後の言葉は守れない約束になった。
REFUSEを始めようと思った基本、
兄弟分との約束も守れないなら俺には続けてる意味が無い。
それは、それまでに俺が求めて積み上げてきたモノが
何にもなってないのと同じ事だ。

もう、ヤメよう。
その時に初めてREFUSEを続けていく意志が
自分の中から消えていくのを感じた。
それでもまだ続けようって気になれたのは、

死んじまったアイツの葬儀が終わって、
残った兄弟分達で色々と話してる時、
「昔みたいにアイツん家の前に集まらないか?」
そんな話になって、改めてアイツご両親に挨拶に行くと、
「これ、あの子が大事にしてた物だから形見として受け取って」
と一つの箱を渡された。

そこには、
「これ、カッコいいじゃん。売ってくれよ」
そう言ってアイツが買ってくれた、
俺が物創りを始めたばかりの頃の、
出来の悪いバングルが入っていた。

俺は何かをカタチとして残していく事を
自分が生涯続けていきたい仕事として選んだ。
ソレが誰かの手に渡って何処かに行き時間を共有する事を。
俺は誰かが何かを求めて訪れる場所である事を望んだ。
ソレが誰にとって何かになるだろう事を。

アイツが逝っちまってから、
何をしていいか解らない中で作業机に向って、
ただ何かを創ろうと作業してる中で、
もし、俺がREFUSEをヤメて創る事もやめちまったら、
この創ってる何かを手にする人も居なくなって、
俺の中にアイツが与えてくれた記憶も時間も
何処にも行く事が出来なくなっちまう。

遺伝子が何かを紡いでいく様に、
人から人に何かを伝達して紡いでいく事は、
誰かの記憶を受け継いで何かで誰かに伝えていく事。
そう言ったら話が大袈裟なのかもしれないが、
REFUSEを始めるって決めた時も、
創り手になってブランドを始めるって言い出した時もアイツは
「ったく、高蝶はしょーがねーなー」
って言いながら付き合ってくれてた。
そんな記憶も時間も紡がずに生き続けていい理由は俺には無い。

この先の時間で、
肉体か精神か金銭か、それとも他の何かか、
REFUSEをヤメなくちゃならない事態は起るだろう。
何が起るかなんて判りもしないし
例え判ったとしても変わらないだろう事は、
REFUSEをヤメようなんて俺が思う事はもう無い。
REFUSEに来てくれる誰にでもこの空間には居場所が在る様に、
先に逝っちまったアイツの居場所もREFUSEには在るんだから。

人に限らず、生命体には必ず死が訪れる。
ソレが必然とか運命とか呼ばれる事の一つだ。
ソレを悲しいとか辛いとか感じるのは生きてる側の勝手だ。
ソレは物を無くしたり失ったりした時に感じるのとは種類が違う。
でも、物にも人にも存在する場所と時間が何処かに在る。
生きていても死んでしまっても、
誰かにとって必要な場所と時間を
少しだけでも俺が創り出せるなら、
REFUSEを続けていく意味がある。
ソレが今までの15年間と
コレから先も俺が積み上げていくべき事だ。

・・・・・・・・でも、
女子大生にラブレター貰える職場も良いよなぁ・・・・・・・。