2012/05/31


何が何だか知らんがな、俺。

今月は撮影と文章の仕事が多過ぎて、

シルバーの製作時間がスゲー少ねぇの。

 

よくさぁ、一つの職種の人が、

まぁ例えば焼うどん屋さんが居たとして、

そん人が何かの、そーだな・・・

嫁さんの父親の家がシロアリ大量発生で大変だから、

退治しに三日ぐらい通ってたら、

「俺は害虫駆除屋か?」

ってな感じに思うだろうし、

まー勿論ながら本気で思ってやしねぇんだろうけども、

そーゆー状況だとしたら、

ネタとしてそんな心境を

ブログやら何やらカンやらペットボトルは資源ゴミ。

とかしたりもする訳じゃん。

 

もーねぇ、俺。

そーゆーレベルじゃねぇの。

本域で違う職業だったんじゃねぇか?

ってぐらいに撮影してた。

でもって合間に製作して、

そんでもって文章書いて、

でもって合間に製作して、

そんでまたレイアウト組んで、

でもって合間に製作して、

おまけに打ち合わせとかしてた。

だけど、撮影とか文章とかそのへんの仕事。

・・・・・・・・・・全部、ノーギャラ・・・。

 

ヤベーな。

そろそろタダ働き解消しねーと、

毎日の煙草と珈琲すら得られなくなっちまう。

まー、こんだけ仕事で忙しい浮浪者なんて、

世界中でも滅多にいねぇだろうから、

いっその事、ギネス申請するぐらいやってみるかね、俺?

「どーせ、好きでやってんでしょ?」

って、お決まりの投げやり言葉を言われそうだけど、

そりゃーそうだよ。

ノーギャラどころか、

予算が出ないから制作費も自己負担でやってるぜ。

予算が100万あっても、

きっと制作費でほとんど使うぜ。

足んなかったら自己負担。

でも、最初っから100万どころか、

1円も出ないから全部自己負担だぜ。

自己負担が行き過ぎて、

自己破産の足音が聞こえるぜ・・・・・・・。

 

・・・・・・あー・・・、いやいや、俺。

別に金くれとか、そんな話じゃなくてね。

よーするに、銭勘定よりも、

創り上げる素晴らしさってのが好きだって話。

つまり言いたい事は、

創り上げるのは好きだけど、

ノーギャラでやるのが好きな訳じゃねぇよ、俺。

って事。

もっと詳しく書くと、

この御時世にデカイ予算が出る訳もねぇし、

だったら俺にギャラとか払うぐらいなら、

その分を制作費にして、

良いモンにしましょうってやってる。

そーゆー事。

ただし・・・・・・、

オモシロイ仕事ならな。

楽しめる相手との仕事ならな。

そーゆー時こそ「好きでやってる」

って言葉が当て嵌まってくんだよ。

何でもカンでも鯖の水煮って美味いよね?

みてぇに頼めばタダ働きすると思って、

気安く予算の無い仕事の依頼すんのはヤメて下さい。

何でもカンでもアルミとスチールは分別。

ぐれぇに楽しむ仕事とビジネスってのは分けて頂きたい。

 

・・・・・・・・・あー・・・まぁまぁ、俺。

中々、本題に入らないで、

書きながら愚痴の羅列みてぇになってるよな。

大丈夫です。

こうした事はキッチリ仕事相手っ側にも伝えてるんで。

直接言わないで公に述べる意見には意味が有るけど、

しょーもねぇ愚痴の羅列なんぞ、

サラリーマン崩れが連日連夜の愚痴合わせと大差ねぇ。

公に愚痴なんぞ書いても、

読んでる側はツマンネーだけだってところで、

先月に書いていた、

ブランド及びクリエイター/デザイナー幻想。

その話にいってみよう。


価値観を何処に見出すかの大きな基準となるのは、

大抵の場合が魅力って事になるが、

問題は、その魅力を何処に感じるか?

って、部分になってくる。

例えば、かの有名なThe BEATLESが、

1962年のレコードデビューではなく、

2000年代に結成されCDデビューしたとしたら、

当時程の熱狂的なムーヴメントが起るのか?

って、話がある。

あくまで過程の話でしかなく、

彼等無くして生まれなかったと言われる音楽も、

その後のROCK史もある訳だが、

そこんところは置いとくとして考えると、

大概の見識者が出す答えは、不可能だ。って事になる。

先駆者の苦労はこれまた置き去りにして理由を考えると、

時代性や情報伝達のスピードが違いすぎるのに加えて、

音楽に対する意識が当時と今では違いすぎる事や、

娯楽や快楽の種類が格段に増加している事等が挙げられる。

しかし、こうした理由の中では単純に

The BEATLESの生み出した音楽が悪いとは語られない。

まぁ、既にThe BEATLESという存在を

認識してしまっている中での過程の話なのだから、

当たり前と言ってしまえばそれまでだが、

楽曲そのものは素晴らしい訳だから、

ムーヴメントは別としても、

素晴らしいバンドとしての位置付けは成されるだろうと、

大多数の意見が出ている。

つまりThe BEATLESの価値・魅力は楽曲にこそあると。

と、言う事は、

「ジョンが使ったギターです!!オークションで何百万」

って、事になるのは時代の為せる技。

すなわち一種の幻想。

と、言い切るのは少し強引だが、

さて、この話を

シルバーアクセサリー業界にスライドしてみよう。

 

最もこの例え話が当て嵌まるのは「ゴローズ」だろう。

曰く、日本に於けるネイティブ系の開祖であり。

曰く、インディアンネームを授かったクラフトマンであり。

曰く、そのアイテムはスピリチュアルな存在だと。

今でも原宿の店の前には連日の様に人が並んで、

なんとかアイテムを購入しようと待っているそうですが、

この「ゴローズ」が2000年代に設立されたとしたら、

同じ様な現象と、もて囃され方をするだろうか?

 

・・・・・・・すんません。

全然、そんなふうに思えないんですけど、俺。

別に「ゴローズ」に関しては個人的に好きも嫌いも無いが、

2000年代デビューだったらを仮定すると・・・・

むしろ伝説的な某の全部を現代に行ったとしても、

大して世間の眼が向くとすらも思えないし、

インディアンネーム貰いに儀式に出るとかやっても、

その当時の様には、雑誌の取材だなんだってのは、

余程に懇意な編集部でもなければ行われないだろう。

むしろ「ゴローズ」ぐらいシンプルなアイテムだと、

2000年代の世間的な目線は、

「ネイティブ系って言っても、

     よーするにインディアンのパクリでしょ」

ってぐらいに冷ややか感じになりかねない。

さて、仮定の話を汲んだうえで考えてみましょう。

「ゴローズ」って存在を現代の業界が、

もて囃してんのは何なのか?何故なのか?

此処にブランド及び、

クリエイター/デザイナーの幻想の答が在る。

 

まぁ答えは各々で考えて頂くとして、

違う話題にいってみましょうか。

クリエイターが存在しないブランドもあるので、

式を簡略化しての表し方になるが、

 

ブランド力=アイテムの魅力+サービス×演出


*アイテムの魅力=技術力・デザイン性及びセンス

*サービス=情報伝達・販売方法及び接客と価格帯

*演出=店舗の構築・世界観の見せ方・宣伝

 

さて、ここに更に+するモノ。もしくは×モノは何か?

それが、幻想か?事実か?となる。

 

ブランド・クリエイター/デザイナーの幻想を語るなら、

まずもって幻想の対極にある事実が何かを定義し、

幻想と事実の違いを述べなくてはならない。

加えて、虚実で作り出す幻想と事実が及ぼす幻想の違い。

コレを明確にしなくてはならない。

 

この話は簡潔な答を述べるところから始めましょう。

あくまでブランドやクリエイター/デザイナーに対してですが、

幻想は、皆さんご存知の通りに、

在りもしないモノを在るかの様に見せてしまう事。

事実は、言葉の通りではあるが、

更に踏み込んで述べると、積み上げの事です。

単なる時間経過やアイテム数だけでなく、

ブランドもしくはクリエイター/デザイナーとして、

これまでに行ってきたアクションの積み上げ。

 

よく、

「ブランド名とか抜きにアイテムだけ、技術だけで勝負」とか、

「名前を伏せてアイテムの人気だけで競おう」みたいな話、

有りますよね?

積み上げてない人程、そーゆー話をよくします。

ここは勘違いの起らない様に細かく書きますが、

創り手側の意志が、ブランドをやりたいのか?

ただ技術屋になりたいのか?

クリエイターになりたいのか?

デザイナーになりたいのか?

それによって、

同じリングで勝負出来るか否かは変わってきます。

 

「ブランド名とか抜きにアイテムだけ、技術だけで勝負」

とか、嫌いじゃありません、俺。

むしろ昔は散々やってきました。

おそらくは、シルバーアクセサリーの業界で言ったら誰よりもね。

おまけに言ったら、今でも続けてます。


「名前を伏せてアイテムの人気だけで競おう」

そーゆーのも別に嫌いじゃありません、俺。

むしろ名前は出すけど、そーゆー企画を運営してました昔は。

 

でもね。

本当に真剣にそんな事がしたいなら、

誰も知ってる人間が居ない場所でやってこいよ。

って話でしかないの。

パリコレシーズンの展示会場で彫金実演してこいよ。

周りに散々「ファッキン・ジャパニーズ」って言われながら、

それでも世界のバイヤーに認めさせてこいよ。

全然違う海外の業界に乗り込んで彫金で魅了してこいよ。

タフガイに「クレイジー・サムライ」って言われながら、

それでも凶悪なバイカーに認めさせてこいよ。

 

別にこれは俺が凄いとか、偉いって事じゃなくて、

本当にブランド名も何も関係無しに、

アイテムと技術だけで勝負したいなら、

そーゆー事が必要って話。

俺のは所詮、その一例でしかないが、

それが積み上げるって事だと思う。

ブランドやるって事は、

嫌でも(むしろ嫌ならやるなよってなるが)

看板背負って歩んだ道程が積み上がる事になる。

それは、幻想ではなくて事実ってヤツだ。

その事実を自らのアクションで積み上げるのか?

金銭でどうにかして見てくれの虚実を積むのか?

 

前者は善で後者が悪だなんて事は思わんが、

前者は衝動で後者が戦略だってのは確かな話。

 

もう少し解り易く述べますと、

某かのアクションを起こしたいと思って行動するのは、

(大概の場合、個人でやってるブランドが多いが)

ソレを行いたいと思う気持ちから派生するもので。

某かの購買欲を煽りたいと思って行動するのは、

(大概の場合、所謂な企業ブランドさんが多いが)

とにかく金を稼ぎたいって思惑から派生するもの。

問題は、

どちらの場合でも既成事実を表面的には出せる事。

すなわち、内容如何ではなくて、

そのアクションのみを表立って伝える事によって、

幻想の発生源の一端になっている点。

つまり、

期せずして事実が幻想を及ぼしてるのか、

思惑があって虚実で幻想を起こさせるのか、

その違い。

 

経験則による例になるが、

ブランドとしてパリで展示会を始めて5年目ぐらいに、

やたらと日本のアパレルブランドが参加する様になってた。

そうしたブランドのいくつかと話をしてみると、

こんな話が耳に入ってくる様になる。

「別にパリでオーダー入らなくてもいいんです。

         ブランドの宣伝材料になれば・・・・」

 

クダラネー。

本域でクダラネー。

丁度、展示会主催者とモメてた事もあって、

翌年からパリのコレクションに参加するのはヤメた、俺。

でも、ファッションの世界、

いやはや世の中のブランドマーケティングなんてのは、

大概がそんな様なもんだ。

よーするに「デカイ事やってますよ」

って、既成事実が欲しいだけ。

パンチパーマとソリコミでハッタリかまして、

    カツアゲするショボイヤンキーと変わらねぇ。


だいたい、ブランドを良くしようと思うなら、

わざわざ海外に行く必要は無い。

その予算でもっと良いモノを生み出す努力すりゃいいだけ。

ってのは個人的な意見だ、俺。

 

凄いヤツってのは何処に居ようが凄いってな話だし、

勝負したいか、新しい世界を体感したいか、

ってのの為に、

身の程知りたくて海外に出てるんならまだしも、

そーゆークダラネー頭で行動する、

何の内容も無いって駄ジャレにもならねぇ既成事実。

ソレをいかにも凄い事の様に宣伝するのは虚実だ。

そうした行為が幻想を生み出す。

まぁ、経営的にはその幻想が大事だろうし、

企業がイメージキャラクターだなんだと、

イメージに固執した宣伝する点からも、

そんな意識が資本主義ってのも、

解っちゃいるが好きにはなれない、俺。

 

いかんな。ちょっと話がズレそうなんで、

シルバーアクセサリー業界で解り易い例を挙げよう。

現代のようにインターネットの普及率が高くても、

公に認知度と信頼性の高い情報を得ようとすると、

雑誌という存在は欠かせなくなってくる。

雑誌の内側の話は長くなるので置いといて、

ソコに出てくる、つまり誌面の内容ってのは、

皆さんご承知の通り、金銭でどうにかなる部分も有る。

 

加えて述べると雑誌は、

ある側面だけをピンポイントで情報伝達するので、

既成事実(まったくの虚実もあるが)を

言い切り、伝えっぱなしで読者に判断を委ねる。

良くも悪くも、

これが雑誌が中立的な立場でいれる条件なのだが、

幻想を生み出して稼ごうとする方々には、

最も使い易いツールの一つではないだろうか?


なぜ使い易いツールなのかを単純に述べると、

事実を有しているブランドと

虚実で稼ごうとするブランドが、

一冊の雑誌の中で混在しているからって事だ。

 

詐欺師が相手を信用させる常套手段として用いられるのは、

世の中に転がる事実を織り交ぜながら、

あたかも自分がそこに属していると思わせる事なのは有名な話。

幻想を生み出したい方々の

雑誌やインターネットの利用方法ってのはソレに似てる。

 

一つ、シュミレーションしてみようか。

 

クリエイター/デザイナーは、

どっかのブランドで経験積んだだか、

デカイ仕事やったと触込み。

 

アイテムのデザインは、

売り易そうなデザインとサイズ感に、

人気のありそうなブランドのエッセンスを注入。

流行りモノには取り敢えず相乗り。

 

製作に関しては、

製作現場は見せないし、生産国も明かさないが、

こだわりとかの言葉はとりあえず連発。

製作実演したとしてもネーム彫り程度。

 

宣伝に於きましては、

同じ様なパターンで構成、何故か外国人モデル。

海外でも認知されてる様にしてるが、

セレブのゴシップぐらいに事実は闇の中。

限定アイテムの煽りは当たり前。

 

意味は無いけどコラボレーション。

売れてそうなタレント。有名であろうアーティスト。

(違う媒体の時はまるで愛用してないけどね)

 

はい、こんぐらいやったら、

「凄いブランドなのかなー?」

ぐらいには幻想抱いちゃったりするでしょ?

いや、ある意味凄いよ。資本力って点では。

少なくとも、やりたくも無いし、出来ないな、俺。

 

いやはや、長ったらしく書いてきまして、

「幻想ってなんだ?何が悪いんだ?」

って言われそうなんで、ここいらで終わりにしますが、

よーするに、

幻想を生み出そうとする方々と、

事実を知ってもらおうとする人達が、

どっちも存在するのに、

観てる側が勝手にどちらにも幻想を抱くってな話です。

そして、そこには少なからず・・・・。

まぁ、言わずもがな。

 

観てる側が幻想を幻想と

理解して楽しむ事は勝手ですが、

事実で動いてる側はツレぇよなって事と同時に、

ブランドだクリエイターだデザイナーだと、

偉そうにほざいてるヤツもいるけど、

ほざく程の内容のある行動してんのか?

ってのは、常に自分にも問いかけてなきゃならない。

世間じゃブランドやってるとか、

クリエイターです。デザイナーです。

ってのは、カッコ良さそうに見えたりとか、

聞こえが良さそうに思えるかも知れんが、

聞こえが良いだけじゃ、

中身が空になった空きカン叩くのと同じ。

もて囃されるって事に慣れすぎて、

創り手が事実を忘れて、

自分で幻想に惑わされてたら、

それこそ笑い話にもなりゃしねぇ。

 

 

あー・・・・あとね。

色々と仕事して動き回ってると、

「そんだけ色々やってたら、かなり稼いでるでしょ」

って、言われてたりするけど、

それこそ幻想ってヤツです。

35歳で貯金54円。

家無し、家庭無し、車無し、個人収入無し。

これが事実ってヤツだぜ、俺。

 

まぁ・・・・・・

悲しい現実とも言うよなぁ・・・・・。