2012/06/30

J.BOY」や「東京」で、

都会の日常に疲れた男の哀愁を歌い、

「もうひとつの土曜日」では、

横恋慕の悲しい独り言を歌う。

袖無しGジャンにバンダナ・サングラス。

そう、80年代のヒーローと言えば、

ハマショーこと、浜田省吾。

 

「ハマショーの名曲って何?」

と、聞いたなら誰もが答えるMONEY

成り上がってやると激しく叫ぶMONEY

 

広島出身で男臭く成り上がりを歌うと言えば、

ハマショーの前に、まずは頭に浮かぶ、

エーちゃんこと、矢沢永吉。

どん底の貧乏な暮らしから成り上がってやると、

夜汽車に乗って上京したエーちゃん。

見事に成り上がり今では「E.YAZAWA

そんなエーちゃんというビッグネームを前例に、

ハマショーの名曲MONEYを聴く。

 

親父は出て行って、兄貴が油まみれで育ててくれて、

愛した女は金持ちと街を出て行った。

いつか奴等の足下に叩き付けてやるビッグマネー。

と、歌ったハマショー。

ここまで泥臭く成り上がりを歌われると、

きっとハマショーもどん底から這い上がってきた。

きっとハマショーもスラム出身の苦労人。

かと、思いきや、

親の金で浪人→大学進学→学生運動→

中退→バンドでデビュー→ソロ活動。

という歌の内容とはだいぶ違う人生。

 

純白のメルセデス、プール付きのマンション。

最高の女とベッドでドン・ペリニヨン。

は、実際に手に入れたかも知れないが、

どん底からの成り上がりとは、到底言えない道程。

 

そう、これが幻想。

ハマショーが歌うMONEYを聴いたなら、

きっとその生々しい叫びに、

「あぁ、きっとハマショーはこんな人生を・・・」

と、誰もが思い込む程だ。

別段、ハマショーは何も悪く無いけど、

つまり、前回書いた幻想ってのはそーゆーもんだ。

 

「だったら、前回書いとけよ」

とか言われそうですが、

実際のところ、前回の幻想の話に対して、

幻想の答って何だ?って質問をよくされたので、俺。

解り易い答で書くとね、

幻想ってのは

                    ハマショーみたいなもんだ!!

 

 

・・・・・・・・あれっ?

なんかチゲーな。

チゲーよな、俺。

言い切ったくせに何かが違う気がする。

まー・・・・・・、つまりそーゆー事だ。

 

じゃ、なかったらラブホテルみたいなもんだ。

そーそー、ラブホテルの御休憩みてぇなもんだ。

ハマショーが勝手な受け手の幻想だとしたら、

ラブホテルの御休憩が発信元の幻想だ。

御休憩しないけど御休憩なそーゆーのだ。

御休憩なんだから、

別段何もしないで御休憩してりゃーいいのに、

ナニからナニまで動いちゃう感じなナニだ。

解ってるのに大義名分、看板に偽りアリなアレだ。

ちゃんと御休憩してりゃーナニも悪く無い。

けど、そんなワケないアレだ。

 

・・・・・・・いやいや、どーなんだろ、俺?

 

まーさぁ、こんだけ書いても解らなかったら、

取り敢えず、ラブホテルに御休憩で入って、

独りでハマショー聴くトコから始めてくれ。

 

 

あ〜やれやれ、毎度の様にすみません。

そんなこんなありまして、

今月のシルバーアクセサリー業界話は、

何にしようかと考えたが、俺。

先月もちょっくら書きかけた、雑誌のお話。

 

とはいえ。

雑誌の話は、一括りにし難いので、

まずは何処らへんから書いてくかって話だ。

実際、雑誌の事で知りたい話って何だろ?

成り立ちとか編集とか広告とか大人の事情とか、

そんなん知りたいんだろうか?

過去にも、そーゆー話は散々書いてきたが、

此処で更に繰り返して書くのも、

今はかったるい気がする、俺。

 

なので前回も書いてた、

雑誌を中立という立場に捉えて、

(あくまで捉えての話ね。そーだって事じゃなく)

ロクデモナイ話を綴っていってみよう。

 

雑誌という存在自体は、

情報発信の媒体であり、宣伝の場でもある。

と、するのは制作側・関係するブランド等の話。

雑誌の読み手側として考えたら、

情報収集と娯楽が主目的であるが、

他に考えるとコレクタブルな要素に加え、

大きく意味を為しているのが、

一つの基準ってヤツだ。

 

一括りにするのは難しい話ではあるが、

雑誌に掲載されているという事は、

某かの店やブランドや商品にとって、

あるいは人にとって一つの基準と成り得る。

 

巷でよく聞く

「雑誌で紹介されてたナニガシ〜」

だのと言う謳い文句は、

雑誌に掲載されている事が、

良いモノ(あるいは雑誌によっては悪いモノ)

だと言う既成概念によって出てくるので、

潜在的に雑誌に出る事が、

モノとして認知される一基準になっている。

多くの人が情報をwebで拾い集める様になり、

雑誌の購買数が減った昨今でも、

その基準は相も変わらずな部分が有る。

 

さて、ここで更に思考を巡らせてくる人や、

個人の主観によって捉え方が変わってくる。

例えば雑誌でよく紹介されてる、

ブランドや店やアイテムに対して、

「金払って取材させてる」

「編集者とのコネクションで掲載されてる」

「取材してるヤツが無知なだけ」

と、いった様なアンチメディアな思考が起る。

こうした考え方の多くは、

日本人特有の僻っぽい性格に起因している

とも言われていたりしているが、

別に日本に限った事でなく、

他の国でもメディアに露出する事を嫌う、

アンダーグラウンド嗜好な方々も少なく無い。

 

よーするに、こうした思考の多くは、

メディアの絡繰りや大衆煽動性、

加えて企業戦略的な部分の見え隠れと、

一部のヒエラルキーによる力関係が原因で、

そこに資本や力関係で入り込めない、

もしくは地理的な問題で加われないが為の、

疎外感からやってくる僻と、

「私、業界の裏事情知ってますよ」的な、

解った口きいちゃう症候群と、

違いの解る人だからアレルギーやら、

そんなんやら何やらが、

ごった煮の様な感じになって生み出される。

言うなれば、シャレオツB級礼賛体質。

 

こうした思考の何が悪いかって事になると、

個人の思想でしかないから、

勝手にしやがれって話でしかないんだが、

どーにも美意識の一つに、

メディア露出が少ない方がカッコイイみたいなね。

寡黙な姿勢や、一本気な生き方に憧れるみたいなね。

悪いとは言わんが了見の狭いもんがありますね。

 

ちょっと、企業が広告出しました。

ハイ、拝金主義だのなんだのと、言います。

ちょっと、コラボとか売り出しました。

ヤレ、金に困ってるだなんだのと、言います。

ちょっと、取材で色々やりました。

ソレ、出たがりだのなんだのと、言います。

 

あの〜・・・・っさぁ。

編集ページと広告タイアップと純公。

更に広告フォローページとパブページ。

そのへんの違い、全部判って言ってんだろうね?

そうなんだよね?判ってんだよね?

それでもヨロシク無いって言いたいんだよね?

全力でBBQとドッジボールの広告出してる

なけなしの銭はたいてる奴がいても、

文句言いたいんだね?

・・・・・・・・・まーそりゃ、そーか。

 

でもさー。

そんなに違いが解るんだったら、

雑誌に出てる中でも、

良い物・ちゃんとした情報、

悪い物・ダメな情報、

その違いも解るよね?

 

安易に取材受けないとか、

雑誌とかのメディアで露出しないとか、

男は黙ってサッポロビールみたいなね。

頑固親父のラーメン屋とか、

隠れた名店・名工・名職人が好きってのは、

「雑誌に載ってるから良い物」

って基準に対して、

「雑誌に載ってないから良い物」

って基準でしかないじゃん。

それって、

雑誌を頼りに基準を決めてる事と

何も変わりゃしないぜ。


こだわってるつもりが、こりかたまってて、

知ってるつもりが、知らずにすごしてる。

本当に物知ってて、見る目があるなら、

雑誌の中だろうが何だろうが、

違いってのが解るってなもんでしょ。

だって本当に凄い奴ってのは、

メディアに露出してもしなくても、

凄いって事には変わりねぇんだし。

 

・・・・・あースンマセン。

いつも通りに話が脱線してきました様な、

そんな気もしますが、俺。

先に書いた様に雑誌を中立と捉えて、

(しつこいようだけど、捉えての話ね)

受け手側の話を書いてただけです。

なんで、まー色々と書きましたが、

結局のところ、受け手側は自由なんで、

どう受け取ろうが、

それはそれで良いやって事なんですが。

 

まー、それで良いやって言ってられるのは、

あくまでも受け手側の話。

ブランドやってる側は、そーはいきません。

 

何がそーはいかないかなんて、

今更書くのもどーかと思うんですが、

よーするに。

宣伝とか発信とかしたくないなら、

初っ端からブランドなんか

         やるんじゃねぇよ。

って話だ。

 

だって、ソレが出来ないって事は、

「能力が無い」って事でしかない。

嫌が様にも看板掲げて、

物を売っていくってのはそーゆー事だし。

まー、必要無いってんなら話は別だが、

ブランドやお店にとって、発信はさておき、

宣伝やなんやらが必要不可欠かと問われれば、

したくないなら、やりやくないなら、

答は当然、NOになる訳だし、

強制的にやらされるもんでもない。

 

ただね。

毎度の様に個人主観の話になるが、

メディアという存在に対しての、

対応力が有るか無いかは、

ブランドを大きく左右する。

一昔前とは違って、

雑誌なんかのメディアでどう露出かより、

webで事実だろうが虚飾だろうが、

好きにやる方々もいるだろうし。

先に触れた様な、

シャレオツB級礼賛主義とか、

僻み根性とプライドの入り交じって、

雑誌なんかのメディアに対して、

虚飾に塗れてるかの様な眼で見る、

質の悪い根性曲がりなブランドさん。

そんな方々もいたりもします。

(別に雑誌を擁護する気も無いけど、俺)

 

自分トコのサイトで、

世界観が伝わる様にって事で、

見栄えの良い調度品とお飾り、

奇麗な言葉を並べ立てて雰囲気出して、

ブランドのイメージよくして見せても、

それが現実に存在しない空間だったら、

それも虚飾って事になりはしないのかい?


イメージを伝えるって意味では、

そうした行為が間違いだとは思わんが、

イメージを現実に存在させて、

更にそれをヴィジュアライズさせ、

メディアに対応させるって事の方が、

よっぽど困難だと思わないかい?

 

雑誌で可能な事が、

情報発信と宣伝だけかの様に皆さんやってますが、

何かを表現する場だとしたら、

捉え方は変わってくる筈なんだがね。

 

もし、表現する場として出来ないなら、

スタイリングも撮影もコラムも、

最初っからやらねぇよ、俺。

ブランドやお店やってる側は、

見る側、受け手側が居るってことを考えて、

本当に本気で雑誌に向き合ってるんだろうか?

向き合った後で答を出しているんだろうか?

それで何のアクションも起こさずに、

愚痴愚痴言ったり思ったりしてんだろうか?

それなのにムック本に出てくる広告は

あんなんなんだろうか?

あんなんなんなん?

なんなんあんなんなんだろうか?

なんなんなんなんなんなんなぁに?

みたいなもんなんだろうか?

 

 

・・・・・・・・・・・・うん。

疲れてる、俺。

なので戯言は、また来月重ねるとしよう。