2011/03/31

認識するという事は、基準を設定する上で重要な要素である。


LUCKY STRIKEの逸話を聞いた事はあるだろうか?
アメリカ産の煙草であるLUCKY STRIKEは 、
二次大戦におけるある作戦が元で命名されたと。
パッケージデザインの赤い丸はその作戦が実行された国の国旗を元にし、
パッケージの横面に観る事が出来る、
今ではハッキリとしたネイティブアメリカンの横顔が描かれたイラストも、
一昔前までは、その爆撃を示すかのように家屋が爆破されている絵に見えると。
1945年8月6日。日本国の広島県に投下された原子力爆弾。
その投下時にアメリカの兵士が言った一言「LUCKY STRIKE」が商品名になった。
そんな逸話を耳にした事はあるだろうか?
あるいは得意気に誰かから聞いたこの逸話を話してみせた事は?

これは勿論、正しくない逸話。
LUCKY STRIKEの名の由来はゴールドラッシュ時のスラングが元らしい。

別段、煙草の銘柄の話がしたい訳じゃない、俺。
風評というヤツが、どれだけ事実をねじ曲げるかって話だ。

現在、多様な報道と様々な憶測とが入り交じって、
多くの人にとって望ましくない事態が発生している。

未曾有の大震災、大災害だというのは紛れも無い事実だが、
同時にこうして戯言を書き綴る事すらも不謹慎だという風潮も発生している。

でも、果たして不謹慎という言葉は、どこまで当て嵌まるのだろうか?
震災から1年経過すれば許されるのだろうか?
震災が起った地域から遠くはなれたアメリカでは許されるのだろうか?
人が死ぬという事を認識していない子供は許されるのか?
被害の程が不明なまま、哀悼の意を表面的に言葉だけ捧げるのは不謹慎じゃないのか?
そもそも不謹慎の基準は誰が決めている?

時が過ぎた時、恐らく災害と関係のない地域の人や、
知らぬままに育った人は、災害の映像だけを観て、
「スゲーなー」「悲惨だなー」なんて言葉を軽々しく言うだろう。
多分、震災が起る前に海外のそういった事象の映像を
TVやネットで観ながら言った事のある人もいるだろう。

今、不謹慎だと思われる言葉を目にしたとしても、
それと同じ事だ。

LUCKY STRIKEの逸話をする時に果たして不謹慎という事を考えた人はいるのか?
原爆投下から時が経過したから許されるのか?
恐らく考えもせずに風評をバラまいているだろう。
それが人という生き物だ。

某かの事象が起った時、抗う力が無い事が明白であればあるほど、
憤りは違った方向へと向かう。

元々、気にも留めていなかった言葉。
本来、一つの意見として聞くべき言葉。

憤りは重箱の隅でも突くかの様に誰かを非難したがる。
単に無力な自分を責めればいいだけの話なのだが。
世界というものを認識していないが為に責める対象を探す。
そんな事をしても時間が戻る訳も、死んだ人達が生き返る訳も無いのに。

自然災害から二次災害、風評被害と人為災害。
取り立てて何処や誰が悪くて不謹慎だとか言う気は無い、俺。
元より、そういう世界で生きているという認識が必要だというだけの事だ。

震災の後で人が力を合わせて復興しようとしている最中に、
違う国では戦争が行われて激しく爆撃が繰り返されてる。
それが、この世界の現実。

認識したならば、
あとは起った現実に、対応していけるのか否かだけだ。